stay greenしてるのは俺だけの話(k

だって22にもなってバイトもしたことないもんね。
雑用でお金をもらったりはたまにするけど。
大学5年生にもなって平野綾を危機ながら本を読んでいると実に虚脱感がしてよろしい。
そして最近またずーっと腹を下している。これは夏恒例なので気にしない。
働いたら安心して体調不良になれないから働かない。良い人生だ!
こういうことを堂々と書けるのはもはや俺しか居ないと断言する。最近Rは大変そうだ。俺だって大変な状況なのに、ぼーっとしちゃうんだな。

ツンデレについて

もうさんざんツンデレについていろんなところでほぼ同じ人たちに語ってきた。
でも最終的に行き着くのは「なぜツンデレブームなのか」だと思いますね。
ブームと言うことは「ツンデレいいぞ!」っていうのはかつて無かったことになる。
じゃあ源氏物語の若紫はツンデレではなかったか?
たぶんそういう次元ではなくて、きっとツンデレが発見されたんですね。
谷崎が「陰影礼賛」した背景に日本から洋燈が消えて電灯が普及したのがあったように、おそらくツンデレ礼賛が起った背景にツンデレと逆の概念が普及したというのがあったと思うんです。
つまり、若者が素直になった。
僕だって素直ですが、僕の同学年にいた人間はもっと素直でした。たとえば中学生のころ僕はマイナスの概念がまったく理解できませんでした。6-7=-1だと言う。何故かと聞いたら、そうなるんだとしか誰も言わない。僕は数学の授業中こんなくだらない学問はないと内心思っていました。しかし、周囲はそれで良かったのです。誰も文句を出さなかった。出す文句と言えば「教え方が悪い」だのなんだのというものでした。面白かったので僕もそれに乗じて先生に「教え方が悪いぞ! わからへんぞ!」というのをやってました。(あんときはマジですいませんでした)
けれど彼らは基本的に素直でした。ひねくれたことといったら、大体いじめとか盗みとかでした。ドラマでやっているような悪事しかできなかったのです。(これは別にドラマから影響を受けているという意味ではありません)こんなものは想像力の欠如であり、創造力の欠如です。基本的に今や学生は素直なのです。教師の言ったことは信じます。「教え方が悪い」くらいしか言わないのです。内容には誰もふみこまない。大学五年生で落ちこぼれの僕から見ても高校の教科現場など間違いだらけです。だいぶ前に教職課程の授業で学生の模擬授業というのをやって、僕が授業して生徒役にあてても答えられない、逆に先生役として授業するとなると間違ったことばかり言う、驚くべき学生が数人いました。多分こういう人間が真面目な教師として活躍するのです。いまの学生は疑わない。これは完全に世代の問題です。村上龍が「69」で書きましたが、あの小説にあるように当時の学生はとりあえず教師の言うことは嘘だと思ったわけです。村上龍のいるような九州の学生でも親や教師に反抗心を持っていた。しかし何か起ると大人に頼らざるを得ない。こんな時代にツンデレは流行りません。ツンデレで当たり前だからです。
いまの時代にツンデレが流行るのは現在の学生が素直だからです。確かにひねくれている者も多いが、レベルが低い。僕自身が若者なので解ります。ツンというのは誰かが見ているからするものです。この孤独な時代に、その価値は相対的に高まってしまうわけです。そんな時代だから、エロゲーで家族愛を描いてしまう。妹に憧れてしまう。娘まで作ってしまう。
ツンデレブームは今後収束するでしょう。でもそれはジャンルとしてずっと名前を残すのだと思います。思春期にツンデレなのは当たり前ですから、こんな名前がつくこと自体おかしいはずですが、もうそうやって認識しないといけないような孤独感にさいなまれる若者が、特にオタク層に増えたと言うことです。これは同時にオタクの間口が大きくなったということでもあります。オタクになりたくてもなれない時代はいろんな意味で終わりました。そして、「孤独でも平気」と言うようなことをネット上で書いてしまう若者が出てきました。こんなものは嘘です。インターネットは最大のコミュニケーションツールです。本当の意味で孤独でも平気な人間はインターネットを娯楽目的に使ったりしません。実は彼らこそがツンデレなのです。ツンデレはおそろしく現代的な現象だと思います。