(芸術の秋・特別更新)本日の詩 k

雲一点なく
青い秋空は
心寂しい
地を覆うもの一つもなく
空をさえぎるもの一つもなく
ほとばしる日の光
吹き起こる風


空を横切って
落ち葉でも一枚落ちるのではと気を揉む


どんなに長い間
あのように耐えられるだろうか
命令を受けて
さっと掃き捨てでもしたように
雲一点なく
青い秋空は
恐ろしい

           (金光圭-KimKwanGyu-  森田進・訳)

ソウルの書店に行くと詩のコーナーが単独で存在していることに驚く。
大型書店でないにも関わらず、である。
世界的にも韓国の現代詩は有名であるが、日本ではすっかり廃れてしまった観のある詩という分野が、韓国では未だ文芸の中心にいるのだ。
最近では崔泳美の詩集『三十、宴は終わった』が韓国で100万部を売り上げた。
人口4000万人の国で100万というともはや社会現象といえる。
これは韓国で詩が日常より高いレベルに存在するという神話をとっくの昔に打ち破っていて、日本よりもインテリ色が薄いからでもあるだろう。
韓国が生み出すスノッブを感じさせないストレートな詩は、民衆の共感を大いに得るのだ。
金光圭はそのような、あくまで民衆によりそう詩のパイオニアである。
雲一点なく、青い秋空は、心寂しい。
心奪われるほど綺麗な景色だからこそ、「恐ろしい」。
詩の中間点にある「どんなに長い間、あのように耐えられるだろうか」という部分があまりに鮮烈である。
平穏だからこそそれが打ち破られる恐ろしさ、誰しもが持つその感情を表現するのにこれ以上のものはないだろう。
1941年に生まれ、激動の中を生きた彼の率直な心象を、この詩は端的に表している。