僕はいつ起きて、いつ寝ているのか!? そして今眠いのか、寝るべきなのか、朝なのか、夜なのか!?(k


愛しの桟原は157km/h投げるようになった。きっと星野監督より指導力があるだろう。
熱スタ2006ドリームリーグモードの8年目が終わろうとしている。
そしていつもどおり朝を迎えた。
目が疲れながらもニコニコ動画を見てiTunesで音楽を聴く。
本は読まなくなった。読めなくなってしまった。
音楽が流れていると活字は追うことが出来ない。
勉強もできない。進路を決めることも・・・それは言い訳か?



まあ、君、Bloc PartyのWaiting for 7:18という曲は素晴らしいぞ。
ここ数日は1回/日のペースで聴いている。
もってけセーラー服と再生回数が良い勝負だ。
この曲の素晴らしさはその壮大さと哀しさを含んだ演奏・・・もだけれども、
その演奏に見合わない歌詞の内容が最高にいいのだ。
この曲は7:18の電車を待つ勤め人のボンヤリ考えていることにすぎない。
駅のプラットホームで「ああ、僕は今でもボールを100ヤード蹴れるかな」とか考えてしまう。
ああ、鬱。
毎朝こんなテンションで電車に乗ってたらしまいには自殺するであろう、というテンションの曲である。
この曲に感動するのは、朝起きて会社に行くことが実は失恋より重いということを証明した点にある。
世界中のバラードにおいて失恋の比重は非常に高い。特に日韓はダントツだと思う。
昔聴いたタイのバラードは「あの女はタケノコばかり食わせる」とかいう内容だったので
失恋とはちょっと違うと思われる。
いやね、直感的だよ?
直感的にすぎないんだけども、
Bloc PartyのWaiting for 7:18の感動は僕の中ではどんな失恋ソングでも超えられへんのよ。
Waiting for 7:18>>>>越えられない壁>>>>>失恋ソング
なんよ。
ひどい話女性は別れてしまえばそれで終わりでしょ。
刹那的な哀しさで終わってしまう。たとえ極論それが死であってもそれを忘れることができる一瞬はいつかもたらされると思うんだわ。
しかしWaiting〜という曲は女性じゃなくて社会を相手にしている。コレは怖い。
社会は女性ではない。
逃れようがないんだ。社会とは決して離脱できない。
通勤電車を寒空の下で待つ男は、どんな感情を以ってしても社会とは立ち向かえない。
社会構造の中に存在するどうでもいい一要素として通勤電車を待ち続けるだろう。
彼は会社に行かないといけない。そしてそれは人生のメインを占める部分だ。
でも彼は曲調からして乗り気ではない。そこで自分が社会と鎖で繋がれていて24時間365日それとともに生きていかないといけないことを再認識してしまう。
恐怖だ!
そしてこれ以上悲しいことがあるだろうか!
どんな女性を失ったとしてもこの恐るべき真実からは逃れようがなく、どんな女性を失うよりも重大である。
そしてこの曲を聴いた人間もWaiting for 7:18――それぞれの7時18分を待つしかない。
社会構造の中の米粒より小さな一点としての自分を確認しながら。


じゃ、そろそろ寝ようかな。